九段会館(旧・軍人会館)

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最終更新日:2009年05月09日
作 成 日:2000年07月23日



DATA

設計者:川元良一
用途:宿泊施設他
竣工:1934
所在地:千代田区九段南1-6-5
周辺地図


作成者:H.Tanaka

右上の写真を見たことは在りませんか?近代建築史の教科書には必ず出てくる建物なのですが、今でも残っているのです。今では左の写真のように、菊竹清訓設計の昭和館というものができてしまい、九段会館の角にもなにやら塔がついてしまいました。(一応外観を合わせたのか・・・機能は立体駐車場です)

まあそれはいいとして、このお堀端にある九段会館というのは、昔は軍人会館と言う名前で、軍事的な機能をもった建物だったのです。今では、結婚式場やらホールやら、宿泊施設やらでさながらホテルの様な機能が入っています。あっそうそう、下の写真でわかるとおもいますが、ビヤガーデンなどもやっています。

さてこのもとの姿である、軍人会館について少し。
この軍人会館は昭和初期の建物。戦後ではアメリカに接収されるなどの歴史を持っており、この設計にはコンペによってされました。当時の建築界では「日本らしいデザイン」というものは、RCの洋風ファサードに城郭の屋根を載せた「帝冠様式」というスタイルが流行るわけです。

国の流れがそうであり、国のコンペでは、帝冠様式にしないと入選しないというくらいのものでした。そんな中提出作品にアンチ帝冠様式のデザインでコンペに参加し、やはり落選し、「負ければ賊軍」という有名な文章を書いた前川国男がいたり、もう世の中帝冠様式がもっとも日本らしいとさえされた時期でした。

そんな中でこの軍人会館もスタイルとしては帝冠様式であり、今でもその雰囲気が十分と伝わってくるだけに、この建物は今ではちょっと異様な雰囲気を醸し出している感じがします。(ちなみに私は大好きですが)

さて、内部に入ると外観からはまったく想像が付かないくらい雰囲気が違います。というか外装以外はすべていじってしまっていると言うことでした。

上の写真が伊東忠太ばりの、顔の彫刻のようなもの。これは、北面にあるホールに対する魔除けだそうです。

右の写真にもありますが、屋根の上には鯱がデフォルメされてのっています。もちろん素焼きの瓦と同じ材質でした。

これら、魔除け的なものは当時からそのままだそうです。

昭和初期の建築や伊東忠太の建築は細部の彫刻などが必ずと言っていいほど登場し、時には重要な意味を持つものもあります。

さて屋根関係の話しをしましよう。
左上の写真が瓦です。一枚一枚手作りで焼かれたものではありますが、この形は特注の物だったらしいです。瓦が痛み始めていたのですが、特注の型でしたので、なかなか瓦の交換ができなかったそうなのですが、ある時、この瓦を焼いた業者が見つかり、痛んでいる瓦を部分的に葺き替え、多めに焼いた瓦、つまり左の写真の瓦は多めに焼いた瓦だそうです。
右の写真と見比べても色が全然違います。まるで、看板建築の銅板の様な色の変化をする瓦です。

さて、外観以外は全て改修してしまったということを話しましたが、別に歴史家の人達が、この建築の保存運動をしてファサード保存をしたわけではありません。
この建築実はホテル的な機能をもっていると言いましたが、建物自体は国の所有物。
戦争に負け、米軍に接収され、その後返還された後、向かえにある靖国神社の関係者に貸すことになり、どうして利用しようかということで、ここにホテルのような機能を入れるようになったそうです。
なかなか波瀾の道をたどったこの九段会館には不思議を感じずにはいられません。

 
 

 

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文責・写真:H.Tanaka


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