ARCHITECTURAL MAP

Jyo Nijima's Old House
新島襄旧邸

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新島襄旧邸

所在地:京都府京都市上京区寺町通丸田町上ル
用途:個人住宅
竣工:1878年(明治12年)
構造:木造2階建

最寄の地図
京阪「丸太町駅」下車、西へ徒歩10分

公開日:
3月〜7月と9月〜11月の毎週水曜日及び土曜日(ただし、祝日は除く)
5月中旬・10月中旬・11月29日(創立記念日)

10:00〜16:00

10名以上は団体として予約制とする。旧邸建物内の見学は1回最大20名程度とする。家具も文化財につき、みだりに手をふれないこと。


Camera:
Nikon F60 28mm〜80mm
Film:
FUJIFILM PROVIA100 Professional

作成日:
2000年05月 06日

最終更新日:
ページは追記・修正があったときに随時更新しています。
2008年07月13日

作成者:
Mitsuo.K


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- 同志社の創設者「新島襄(読み方にいじまじょう)」の邸宅です。

場所は御所の南東角を少し上がったところの寺町通り沿いにあります。学校の通学路としてここを通っているのですが、水曜日と土曜日しか公開していないことをつい忘れてしまっていて、なかなか見に行く機会がありませんでした。公開日は画像のように玄関に立て看板が掲げられます。普段は戸が閉まってるので、そこに邸宅があることすら分かりません。

結構、想像していたよりも大きな建物でしたが、どこかこじんまりとしていて質素な印象も残ります。

内部。家具なども当時のものだそうです。現在の生活様式と似ていますね。つまり2足制なのに椅子式の生活だったということ。入ってすぐの部屋は「洋間」。

でも、他の部屋や2階に上がると畳が敷いてあるから和室もあります。建具をよく見てください。「引き窓」と「開き窓」が両立しています。ちょっと不思議な感じです。

部屋によっては、この「引き戸」と「開き戸」が掃き出し(床からの開口)形式になっている場合もあります。洋風と和風の折衷とはまさにこの事で、明治時代に外国の建築様式を輸入しながらもどこかに日本建築の匂いを漂わしているところに、当時の変異の移り変わりがよくわかります。

さて、この上の画像は部屋があまりにも暗くてフラッシュを使用ししたのですが、とても気になったんですよ。なんで、部屋にこんなダクトのような管が見えるようにあるのか?管理人に聞いてみると、これが当時の暖房施設だったそうです。炉がこの天井に見えるダクトを通って各部屋を暖めていたとか。
・・でその火をくべる場所はどこか?と聞けば、まさしく僕が立っていた目の前にあるこの黒い金庫のような物体がそれだったのです。
では、改めて各部屋にダクトの吹出口があるのか確認に行きましょう。

あーあった。2階は床にあるんですね。部屋を暖めたければ、この蓋をパカっと開ける。すごくわかりやすい。なんか楽しいですね。で暖炉の煙は煙突で外に排気。そんなのあったかいな〜
外に見に行きましょう。

曇っていたのでちょっと分かりにくいですが、確かに屋根の上に煙突がありますね。屋根は瓦吹です。

世の中最新機器で設備も便利になりましたが、一旦故障すれば業者を呼ばなくちゃならない。こうして新島襄邸の暖房設備をみていると、自分でメンテナンス出来るという点で、かえってこっちのほうが便利そうに思えました。

外観。建物の周りをバルコニーで囲んだコロニアル・スタイル。柱廊様式と言ったほうがわかりやすいかな?木材がこんな風に吹きさらしになってるところから想像するに、風雨による構造体の侵食が激しいと思います。現状維持も大変でしょうね。

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