西日本最大級の私鉄ターミナル「阪急梅田駅」の阪急ビルディングです。阪急グループ(阪急電鉄グループ、東宝グループ、阪急百貨店グループ)は、今回紹介する阪急百貨店こと阪急ビルディングを中心に、駅の地下に展開する阪急3番街、32階建の阪急32番街こと阪急グランドビル、阪急17番街、8番街、新阪急ホテル、ナビオ阪急などを隣接させて巨大ターミナルを形成しています。ターミナルと言う概念は、ここ梅田駅が日本初と言われています。

阪急梅田駅の京都線から神戸線ホームを見る

阪急梅田駅のプラットホームは、9号線まであり(阪急はx番線とは言わない)、これまた南海電鉄と並んで私鉄最大級。京都、宝塚、神戸を結んでいます。

阪急百貨店外観JR高架下の連絡歩道

梅田駅から降りて終点側のエスカレータを3階から降りるとすぐに、動く歩道が3基で1セットで3セット配置してあり、ちょうどこの上にJRが通っています。

いまでこそ、どこでも見かける動く歩道ですが、僕が小さい頃京都から梅田に出るときは、この動く歩道に乗ることと、阪急3番街(地下街なのに川が流れている)をウロウロして阪急32番街の32階からの景色を見ることが楽しみで仕方がなかった。川が流れている地下街、平らなエスカレータ、そして32階建のビル、毎時0分発の梅田駅からの京都河原町行き特急は、宝塚線と神戸線も同時に出発して十三駅(読み方じゅうそう えき)まで3本並んで走るんです。都会ですねぇー。
1996年には梅田駅の発車前に音楽が鳴るようになり、3線別に曲が違います。知る人ぞ知る、終電はあの発車メロディーの最後の伸ばしの音が延々と鳴り続けるのです。

阪急32番街と阪急百貨店の間アトリウム突き当たりの大空間アーチ天井を見上げたところ

阪急梅田駅方面から動く歩道を降りたところ。長いアトリウムが続きます。左奥が阪急32番街の入口。右は見えていませんが、今回紹介している阪急百貨店こと阪急ビルディングとなります。すべてがくっついているので、あまり建物間を移動いているような感覚にはなりません。突き当たりは、先ほどにまして高い天井とゴシック教会もどきの大空間。天井のボールト模様が美しい。わざわざ天井を見上げる人はいないでしょうね。ステンドクラス風の明り窓は外の光ではありません。

旧待合ホール

伊東忠太(読み方いとう ちゅうた)の設計が残っているのは、ここぐらいでしょうか。先ほどのアトリウムの終点に妙にアンティークな空間があります。

アーチ天井と装飾が美しい待合ホールアーチ天井のディテール

とって付けたように残っているこの場所は、かつてここが駅の待合だったのです。
現在のプラットホームはJRの北側にありますが、昔は先ほど紹介したアトリウムの場所がプラットホームだったんです。だからここは待合ホール。1971年に移設されました。
この場所でたくさんの人が出会い、別れていったのですね。そんなシーンにじゅうぶんふさわしい阪急梅田駅の旧待合ホールでした。たぶん、全国どこの阪急百貨店でもアール・ヌーヴォ調とでもいいましょうか、こげ茶色とカーキ色の中間みたいな色を使った装飾があると思います。なんとも古臭く感じる方もおられるでしょう。阪急百貨店の装飾のルーツは、ひょっとしたらここなのかも。

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建物情報

建物画像
阪急ビルディング
建物名
阪急ビルディング
読み方はんきゅう ビルディング)
設計
阿部建築事務所(読み方あべ けんちくじむしょ)
竹中工務店(読み方たけなか こうむてん)
伊東忠太(読み方いとう ちゅうた)
所在地
大阪府大阪市北区角田町8-7
用途
商業施設
竣工
1929年(昭和4年)
規模・構造
SRC造10階建
関連サイト
阪急東宝グループ
阪急百貨店 大阪・うめだ本店

作成者 Mitsuo.K
個人サイト Mの憂鬱
作成日 2000年08月10日
更新日 2008年07月12日
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