生涯、一貫したコンセプトで建物を造り続ける建築家なんて、そう見かけません。その時その時代の流行や時代背景によってコンセプトも材料も変わり、また本人は絶対口には出さないでしょうが、明らかに「実験してみた」と解釈されておかしくない作品も数多く見受けられます。それを否定するわけではありません。完成という言葉の裏には、「終わり」を含んでいるのですから。
黒川紀章氏が設計した中銀カプセルタワービルの話をするなら、やはりメタボリズム・グループを欠くわけにはゆかない。
メタボリズムとは一体なんだったのでしょうか?

外観

メタボリズム「METABOLISM:新陳代謝」。要約すると1960年代に川添登、黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦、大高正人らによって担われた日本最初の建築・都市デザイン運動(*注1)
これからの建築や都市はどうあるべきか?と考えた人たちなんですね。メンバーの建築家の作品群をこのサイトでもある程度見ることはできますが、そろって新陳代謝を思わせるような作品や各人の共通点は、あまり見つけることは出来ません。

凸凹感がよくわかるように見上げる*

とりわけ新陳代謝というコンセプトを視覚的に判断しやすいのが、この建物。黒川氏はメタボリズム・グループの活動中にカプセルというキーワードをよく使っています。1ユニットを細胞の1つに喩えて、その細胞が衰えたり壊れたりした場合その部分だけ取り替えれば母体は生命を維持し続ける。その1ユニットを1カプセルで表現したものなのでしょうか。このカプセルタワーは実際に交換したかどうかはわからないですが、カプセルを取り替えることが出来るように設計されているそうです。

枕もとのパネル部屋の入口から中を見る
幅2.3m×奥行き3.8m×高さ2.1m

ビルの管理人さんに許可をいただいて、その1カプセルの中を見ることが出来ました。この建物の横にサンプルとして一基置いてあるので、窓から中をうかがう事もできます。正直言いまして、これは快適な住居空間とは思えないですね。ベッドも身長180cmある人ならまともに寝られないでしょう。

玄関口郵便ボックス
玄関と郵便BOX

ロビー。
どこかしら昔に考えられた近未来というイメージ。そう、この建物は子供のころに想像した近未来予想図を描いたようにも思えます。前述したように、設計者はその時代によって影響を受けたものがきっとどこかにあるはずです。

もう少しメタボリズムについて調べてみると、アーキグラムにたどりつく。
アーキグラム「ARCHIGRAM」とは、電報(telegram)と無線電報(aerogram)の合成語。イギリスで結成された未来建築家グループです。彼らの作品を見ると機械の生命体のような印象を持ちます。(現実に建ったものはありません。)その作品中にやはりカプセルという言葉を意識的に使ったウォーレン・チョーク(Warren Chalk 1927-1988)を発見。アーキグラムの結成が1950年代後半であり、きちんとした製本では無かったが日本にもこれらの雑誌1号(1961年)〜9号(1970年)の入手はたぶん可能だったことでしょう。
この時期とメタボリズムの結成年度1960年(昭和35年)が近いことから、当然アーキグラムに多少なりとも影響があったと推測できます。

1960年当時、黒川氏は26歳。ついこの前まで丹下研の学生であったということです。丹下健三氏はメタボリズムのメンバーとして挙げられてはいないが、彼もまた夢の運動に踊った一人。いや、川添氏の文章力と丹下氏の実践力があってこそのメタボリズムだったのかも?丹下健三氏の静岡新聞・静岡放送東京本社1968年(昭和43年)になると、それまで作ってきた平和記念公園やらカテドラル教会は一体なんだったのか、と思わせるような変貌ぶり。

中銀カプセルタワービルの竣工が1972年(昭和47年)。この時期の黒川氏の設計するキーワードカプセルが取り込まれていたのは、大阪万博1970年(昭和45年)の作品にもありました。大阪のSONY TOWER1976年(昭和51年)にも面影がありますね。
しかし、彼の設計する現作品にカプセルの面影すら残っていない。つかの間の夢で終わってしまったのでしょうか。

アーキグラムのメンバーはメタボリズムの存在も知っていたようです。
両グループを現代から見るならば、「夢を描いた人たち」であったことを学びとることが出来ます(*注2)。現実的か?とか、機能的か?とかそんなものは棚に上げて、幼いころに想像した未来や純粋な目の輝きのまま、大の大人たちが真剣に取り組んだことに対して評価すべきですね。
アーキグラムやメタボリズムの現実に建たなかった図面を見て「あーこんな建物が現実に建たなくて良かったなあ」と思いながらも、図面の魅力に惹きこまれワクワクしながらそれらを読み解く自分がいたことも事実です。
中銀カプセルタワービルは、そんな夢に踊った時代の記念碑であるように思うのでした。

建築マップに届いたメールより 2001年11月28日

私は、中銀カプセルタワーを事務所として使っている者です。「メタボリズム」の考えかた、勉強させていただきました。ただ、決定的にかけている視点として、空間のありかたと都市のロケーションがありました。カプセルタワーは果たして居住を目的として作られたのでしょうか。洗濯機は置けません。無目的な空間とバス・トイレそして、作り付けの冷蔵庫と収納、冷暖房と最低限のユニットで構成されています。私にとっては、必要最低限の空間と機能がここに集約されています。また、ロケーションにしても、銀座8丁目は、私のような職業にとっては、理想的です。東には浜離宮、西には銀座の繁華街、かつては窓から東京タワーが見えました(汐留め開発で見えなくなってしまった)。
若かりし日の建築家の勢い、だったことは、間違いないと思います。ただ、ここまで、人間性を制限するような建築物はあまりないのでは、また、そうした空間を必要としている人間も、「街」もあるのではないでしょうか。

構造的な問題による「雨漏り」に悩まされながらも、この空間で仕事ができることを「幸せ」に思っております。

私は、この建物がとても気に入っています。私を訪ねてくる「クリエーティブ関連」の連中も、感動して帰っていきます。建築家の自己主張や「無駄」を許さない社会は基本的に良くないと考えています。使い勝手とは、使う側の主観的判断によるものでしょう。住み心地が良くて、安全で美しい建築物ばかりある都市は、つまらないと思います。それは単なる意味ではないでしょうか。気が狂ったようなテンションで、時代に「価値」を投げかける根性が建築家には、求められているのではないでしょうか。私は「デザイナーズマンション」に反吐がでます。空間プロデューサーの作ったカフェにもたまらない嫌悪感を持ってしまいます。若かりし日の黒川何とかは、ともかく「根性」があったから、中銀にこんな馬鹿な建物を作らせることができたのでしょう。

時代は、「コンセプト」を、また、求め始めた気がします。

東京都目次に戻る

建物画像
中銀カプセルタワービル
建物名
中銀カプセルタワービル
読み方なかぎん カプセルタワービル
設計
黒川紀章/黒川紀章都市計画事務所
読み方くろかわ きしょう
所在地
東京都中央区銀座8-16-10
用途
集合住宅
規模・構造
SRC造、一部S造、地上11階~13階地下1階
建築面積
429.51m2
延床面積
3091.23m2
竣工
1972年(昭和47年)
参考図書
INAX出版「メタボリズム」八束はじめ+吉松秀樹
鹿島出版会「アーキグラム」アーキグラム編/浜田邦裕訳
作成者 Mitsuo.K
個人サイト Mの憂鬱
作成日 2000年02月05日
更新日 2008年07月12日
(C) Copyright 1998 FORES MUNDI All Rights Reserved.