
鯛よし百番と飛田新地
難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、1916年に飛田遊郭が生まれました。1912年に完成した旧通天閣を中心とした新世界は、第1次大戦後の好景気で大いににぎわいます。新世界からほど近い飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねます。
戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれています。
鯛よし百番は大正初期に遊郭として生まれ、戦後は内部が大改装されて、持ち主も替わり、現在では(本物の)料亭として営業しています。なお、写真撮影は2003年4月です。
|
建物名: |
鯛よし百番
|
所在地: |
大阪市西成区山王3-5-25
|
設計者: |
不明
|
用途: |
料亭(元妓楼)
|
構造・規模: |
木造2階建、建築面積291u
|
竣工: |
1918年頃(戦後内部改装)
|
|