伊勢神宮
  -Ise Shrine-

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November 14, 1999


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神宮司廳
伊勢市宇治館町1

最寄の地図


外宮:gekuu
JR参宮線・近鉄山田線伊勢市駅下車、徒歩8分。

内宮:naikuu
伊勢市駅または近鉄山田線・鳥羽線宇治山田下車、三重交通バス内宮行20分、内宮前下車。



   

  
外宮御正殿 


古くから「神宮」といえば伊勢の神宮をさします。
神宮のお参りは、正式には外宮が先、内宮が後となっています。
神宮は、女神である天照大御神を祭る皇大神宮(内宮)と、衣食住および広く産業の守り神として崇敬される豊受大神宮(外宮)の両正宮を中心として、14所の別宮、109所の摂社・末社・所管社からなりたっており、 2000年の昔、天照大御神の「御杖代」となった倭姫命の長い旅路のはて、伊勢が選ばれたと伝えられます。
神社の代表的な建築様式には、神明造(御稲御倉)、大社造(出雲大社)、春日造(春日大社)、流造(賀茂御祖神社)、権現造(大阪天満宮)などがあり、いずれも時代ごとの建築技術の粋を集めた洗練された日本の伝統的な建築ですが、伊勢神宮も宇治(内宮)と山田(外宮)にそれぞれ専属の工作所があり、大勢の宮大工さんが奉仕されています。

内宮の入口である全長102Mの宇治橋は、五十鈴川の清流に影を映して架かる高欄つきの和橋で、式年遷宮に先駆け20年ごとに新しく造営されます。
20年で1億人近い人々が参拝されるので、厚さ15センチのヒノキ材の橋板が、4〜6センチも減ってしまうそうです。
この橋の主要部は和船の技術が用いられており、欄干部分は宮大工、橋板部分などは船大工が担当するそうです。橋板は、板を普通に継ぐだけでは、継ぎ目から雨水が浸透して傷みが早いため、和船に用いる「すり合わせ」という技法を使います。合わせ目の両面に鋸でギザギザをつけ、これを叩いて密着させる膨張してピッタリとつき、雨水を防ぐことができるというわけです。
又、橋の内側の大鳥居は内宮古殿の棟持柱を、外側は外宮古殿の棟持柱を用い遷宮後に建て替えられます。
ちなみに、宇治橋の真ん中の一段高くなっている部分があります。(このページトップの写真を参照して下さい)そこは、神様の通り道なので歩かないように気をつけてください。この宇治橋は、橋姫という橋の神様に守られていると言われています。



宇治橋




 
御手洗場



神宮のお祭りは、鎮座以来1500年の間ずっと行われている毎朝夕2度の「日別朝夕大御饌祭」(神様の食事の奉仕)と、春にはその年の実りが豊かなことを祈る「祈年祭」、秋には収穫を感謝する「新嘗祭」、夏には稲の災害と人々にふりそそぐ災厄を除く夏祭りと、冬には今年一年を無事に過ごせたことを感謝し新しい年の生命を育む冬祭りが行われます。
そして、神宮のお祭りの中で最も重要でスケールの大きなものが、20年に一度の『式年遷宮』です。
式年遷宮は「正遷宮」とも称し、稲の最長貯蔵年限がちょうど20年くらいだからとする説や、20年に1度元旦と立春が重なるという大陸渡来の暦の知識からという説から、20年ごとに新しく神殿を造替し御装束・神宝をととのえ、神さまにおうつり願う儀式です。
この制度は第四十代天武天皇が定められ、次の持統天皇の御代より国家最大の重儀として続けられており、
神宮の御正殿の隣りには同じ広さの宮地がもう一つ用意されており、そこに同じ姿の新しい御正殿が建て替えられます。これは毎年稲が同じ形でみのるように、建物も世代を引き継いで、永遠の命を維持すると考えられているためだといわれており、この制度は第四十代天武天皇が定められ、次の持統天皇の御代より、国家最大の重儀として1300年にわたり続けられています。




遷宮の際使われる木材は、かつてこの神宮林からヒノキの用材を得ていましたが、近くに良材がなくなった為、現在では木曽のヒノキ材を使っているそうです。室町の動乱期に神宮林を伐ったまま植林しなかった事が今に影響しているとも言います。
神宮の敷地は伊勢市の約3分の1を占め、5,500ヘクタールの広さがあります。 そこに200年後に使用出来る木材を、再び神宮林から得ることができるように大正時代から植えられているそうです。
一回の遷宮にて必要な木材は広さにして約1万立方メートル、本数にして1万本程、最大で直径1400mm、樹齢500年以上の巨木を用います。
遷宮の8年前から、良質なヒノキの原木が木曽の山から貯蔵池に運ばれ、乾燥・製材され、中にはリサイクルする木材も有ります。 御正殿の棟持柱は御正殿で20年を経てから、宇治橋の大鳥居になるそうです。ちなみに御正殿で使われたヒノキ材は、鳥居としてさらに20年経た後、全国の神社のお社などとして生まれ変わるそうです。





 
内宮御正殿






御稲御倉




正宮への参拝が終わった後に足をのばしてほしいのがここ、神田で収穫した米を納める「御稲御倉」、古神宝類を納める「外幣殿」。

これらは日本最古の建築様式である『唯一神明造』。
堀っ立て柱に萱の屋根、屋根には破風がのびる千木、棟の上には堅魚木が並び、棟持ち柱が棟の両端を支えている切妻造り(平入り)となっています。ちなみに伊勢河崎町の民家では、神宮と同様の造りになるのを避け、妻入りになっています。
唯一神明造はすべて直線式 で、必要な金具のほかは飾り気がほとんどない、たいへんシンプルなヒノキの素木造りです。また、地面から御正殿の棟までの高さは、10メートルあまり、御床までは、 人の背丈より高い2500mmもあります。




外幣殿




御稲御倉・外幣殿からさらに小道を進んでいくと、天照大御神の荒御魂を祭る荒祭宮が見えてきます。
しかしこの御宮へ行くには、左右に分かれている、15段の階段をのぼっていくのですが、階段の14段目に『踏まぬ石』と言われる石があるのです。『天』と言う字に割れており、天から降ってきたと伝えています。
参拝者はこれを踏まないのが慣わしですが、左右どちらの階段の14段目か・・・? 式年遷宮の際もやっぱり運んでいるのでしょうか・・・?
向かって右の階段(右の写真)が囲われ、通れないようになっていたので、たぶん右側の階段の14段目だと思うのですが、見つけられませんでした・・・。是非御参拝の際は注意してみて下さい。


 

   

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作成者:satsu_n


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