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下御霊神社

1999/11/04 Last renewal 2001/08/12
 寺町通りを丸太町からすぐ南へ入った場所にある神社で、大同2年(807)藤原仲成の陰謀の犠牲となり川原寺に幽閉され自殺した桓武天皇第3皇子伊予親王と、その母藤原吉子の霊を慰めるため、承和6年(839)出雲路に創建された。上御霊神社(上京区)とともに皇室の産土神として崇められる。現在地に移ったのは豊臣秀吉の都市改造によるもので天正18年(1590)。本殿は、寛政2年(1790)宮中の賢所御殿を移築したもの。また表門は皇居の建礼門を移したものという。歴史の長い京都には多くの怨霊が存在し、それらを鎮める祠もまた数多い。この下御霊神社の祭神は、そうした御霊を祭ったもので、京都の中でも特に強い怨霊を八つ祭る神社として知られる。そしてこの八霊を指して八所御霊とも呼ばれている。長岡京遷都に関連して起こった藤原種継暗殺事件に関わったとして幽閉され死去した廃太子早良親王。平城天皇即位に際して謀反の疑いを受け自殺した伊予親王と、その母の藤原吉子。皇太子恒貞親王を擁して謀反をはかり、伊豆に流された橘逸勢。これに続いて謀反の罪に問われ同じく伊豆に流された文室宮出麻呂。九州に左遷後反乱を起こして殺された藤原広詞。以上6座の祭神と吉備真備と菅原道真の二座神を勧請した八祭神が、八所御霊として今も祭られている。下御霊神社は下であるから当然ながら上もあり上御霊神社も存在する。上御霊神社も下御霊と同様の八祭神を祭る神社で、もともとは一つの神社であった。京都御所の産土神として崇敬された下御霊神社は、天正17年(1589)豊臣秀古の都市改造によって現在地に移された後も、天皇の崇敬を受けており、中でも霊元天皇の崇敬が厚く、享保13年(1728)修学院離宮からの帰途に参拝した折に納めた願文が今も残る。願文には、幕府政冶による京都朝廷への介入に不満をもちながら「朝廷復古之儀」に対する執念を表したものであった。


下御霊神社
Shimogoryou-jinjya
構造 木造
 
MAP
所在地 京都市中京区下御霊前町

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