集美学村、廈門の中華宮殿式建築1
Jimei school village - The chinese palace styled architectures in Xiamen Part1.

19世紀末、中国に進出してきた欧米列強は各地に租界を建設します。ここで建設されるのは、いま上海バンドで見られるような欧米様式の建築物でしたが、同時に欧米建築家の設計による中国風の建築物も少なからず建設されています。これは中国人に対する懐柔政策か、単なるオリエンタリズムかよくわかりませんが、次第に中国人による民族意識の高揚に合致するようになります。やがて行政庁舎コンペで「ファサードは中国式であること」といった条件が付加されるようにまでなり、アメリカ留学帰りの若い中国人建築家たちがその腕を振るうようになります。

ここでは、租界の街にして、華僑の故郷でもある廈門(アモイ)における宮殿式建築をご紹介します。第一部は集美学村です。第二部の「廈門大学、廈門の中華宮殿式建築2」もあわせてご覧ください。なお、写真撮影はいずれも2003年1月です。


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廈門市 位置
廈門港
廈門市は人口120万人、国内有数の海港風景都市です。歴史的に見ると、1842年の南京条約で開港された5港のうちのひとつで、廈門本島から舟で5分ほどのコロンス島には各国領事館や華僑商人の別荘などの西洋建築物が数多く建設されています。廈門は1980年には経済特区となり、華僑資本や対岸の台湾資本を中心とした外資が多数進出しています。
陳嘉庚の像
廈門は数多くの華僑を世界に送り出しています。この陳嘉庚はシンガポールでゴム王と呼ばれた廈門市集美村出身の華僑です。彼は事業で得た巨万の富を使って、郷土の廈門に多くの学校、公園などを建設しています。

集美学村正門 配置図
集美学村正門
集美学村は陳嘉庚が1913年に創設した学校群です。水産学院、航海学校、体育学院、中学校、小学校、幼稚園、図書館など多数の教育施設が設けられています。こうして廈門の集美村は貧しい漁村から、美しい学園都市に生まれ変わったのです。
集美大学
行かなかったので看板だけです。若者も建物もスローガンも凛々しいものがあります。これは宮殿式ではなく、人民建築様式ですね。

集美中学
集美中学全景
集美学村には南に龍舟池を配し(風水でしょうか)、その北側に施設が建設されています。この池畔に建つ集美中学は学村でもっとも美しい建物と言われています。
集美中学中央部
近代建築の上に、紫禁城の太和殿が載っているといった感じです。同じ北京の鐘楼のようでもあり、中国伝統の雰囲気があります。
集美中学中央塔
廈門の伝統建築の特徴は、この棟の反りです。みん南様式というようです。いかにも中国を感じさせる形ですが、以外にも廈門と対岸の台湾に限って見られる形のようです。こうして近代建築にも取り入れられています。
集美中学側塔
こちらは屋根が目立たないこともあって、中華を感じさせません。ウィーンにでもありそうな(行ったことありませんが...)建築物に見えます。
集美中学正面玄関
残念ながら敷地内は立ち入り禁止なので、柵の隙間から覗くだけです。外壁仕上げはピンク色部がタイル、煉瓦色はテラコッタ、灰色は砂岩のように見えます。
集美中学側塔頂部詳細
ヨーロッパのお伽のお城といった風情です。
集美中学低層部
廈門の西洋建築に多いヴェランダコロニアル様式を派手にするとこうなりそうです。
集美中学バルコニー詳細
廊下には偉人の写真が掲げられています。これは孫文とレーニン。この右側はエンゲルスでした。反対側のウイングは自然科学系でキュリー夫人などの写真がありました。
集美中学紋章
アモイデコ(後述)と社会主義的シンボルの融合。その下部の肘木は中華式。
集美中学妻面
塔の壁は洋風でもあるが、屋根は純然たる中華風。たぶんコンクリート造でしょう。

集美中学南薫楼
集美中学南薫楼
集美中学に隣接して建設されています。集美学村のシンボルであり、廈門島から廈門大橋を渡ってくるときに真っ先に見えるランドマークでもあります。
集美中学南薫楼中央塔
中央に塔、左右にV字型に開いた低層部を持っています。塔上部には大きな「集美」の文字が掲げられています。
集美中学南薫楼中央塔見上げ
頂部の中国風の屋根を見なければ洋風建築そのもの。上海バンドにでも建っていそうな建物です。
集美中学南薫楼低層部
ところがこちらは、かなり中華風のバルコニー形式です。
南薫楼中央塔と低層部の取り合い
そんな訳で取り合い部は、そうとう強引です。
集美中学南薫楼中央塔内部
この建物は現在は使われていません。壁や天井のレリーフにかつての豪華であったであろう面影を宿していますが、いまは廃墟状態。ただし、向かって右側の低層部には人が住み着いています。不法占拠かと思いましたが、どうやら学校関係者の宿舎になっているようです。
集美中学南薫楼中央塔詳細1
「アモイデコ」のディテール。アモイデコとは当時の欧米の流行であったアールヌーボー、アールデコ、古典様式、中華モチーフなどが合わさってできた様式。
集美中学南薫楼中央塔詳細2
と言われていますが、ここではあまり中華風は感じられません。

集美中学延平楼
集美中学延平楼
ここは工事中。「歴史風貌建築を保護しよう」「陳嘉庚の愛国精神を広めよう」と書かれています。外壁の煉瓦タイルの貼り替えをしているようです。一見煉瓦造に見えますが、実は鉄筋コンクリート造でしょうか。
集美中学延平楼工事看板
見ての通りです。建築のことを中国では「建筑」と書きます。なぜか台湾では日本と同じ「建築」ですが。「代建単位」は何のことかわかりません。ちなみに工事費は日本円にして約6千6百万円です。

集美中学(別棟、新館)
集美中学(別棟)
先ほどの集美中学と南薫楼との間にあります。こちらは現在使われていないようです。中央の部分もバルコニー形式になっており、前出の垂直線強調型の塔のように威風堂々とはしていません。
集美中学(新館)
集美中学と並行して建つ新館です。プロポーションは似ていますが、ディテールはいたって簡素化されています。

集美小学、嘉庚公園
集美小学
小学校の付属棟のようです。これも伝統的な雰囲気はありますが、ディテールを見ると簡素化されていて、新しい建物の様です。
嘉庚公園
陳嘉庚が1950年に建設したものです。もともとここには寺があったのですが、戦争中に日本軍によって破壊されてしまい、その跡地9880uを使って、公園としたものです。 陳嘉庚のお墓もあり、解放紀念の碑が建っています。

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最終更新日:2003年2月16日

作成者:じいきえん

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