自由学園明日館講堂

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最終更新日:2009年08月09日
作 成 日:1999年09月30日


DATA

設計:遠藤新
所在地:
東京都豊島区西池袋二丁目
竣工:1932年
最寄り駅:池袋
周辺地図

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作成者:H.Tanaka

ちょうどフランク・ロイド・ライトの自由学園明日館の向かえにあるこの講堂。
設計は、ライトの弟子である遠藤新。彼は福島県相馬市に生まれ、1914年東京帝国大学を卒業する。遠藤新は、帝国ホテルの支配人であった林愛作の紹介で遠藤が注目していたライトと1917年に出会い、チーフアシスタントとしてライトに指示する。
遠藤はライトを非常に尊敬しており、ライトの作風である有機的建築を日本に根付かせた建築家でもある。
ライトの作品の中では共同設計というのはほとんどなく、ライトはそれを嫌っていたそうです。しかしライトと遠藤の共同設計という作品があり、それが自由学園なのですが、自由学園の施主である、羽仁夫妻が最初遠藤新に設計を依頼するのです、そこで遠藤は「ライトさんこそふさわしい方」として夫妻をライトに紹介してます。ライトの教育に対する情熱と羽仁夫妻のそれとが一致し、ライトも喜んで設計を引き受け受けます。
その後、遠藤新の息子であり、現在建築家として活躍されている、遠藤楽氏がこのように回想しています。「自由学園の設計にあたって、ライトは、父、遠藤新に対し、『自由学園の設計は君の仕事にしなさい』と話している。いずれ独立する父のためのはなむけに、と思われたのであろう。父は堅く辞退したという。ライトは『それでは共同設計に』といわれ、ライトの作品中、きわめて希有な、連名の図面が残されることになった。父は晩年、このときのことを述懷しては、涙を浮かべていた」
註 ライトと遠藤新の関係が非常にすばらしいものであったということがわかります。


註)ギャルリー・タイセイ『F.L.ライトと弟子たち』P.14 ギャルリー・タイセイ 1995年

ほとんどライトの自由学園と見分けがつかないようなデザイン。遠藤は、明日館とのつながりを考え、デザインを同じようにしたのでしょう。
ライトの弟子である遠藤新の他にも土浦亀城、田上義也がいるが、最後までライトの作風を貫いたのは遠藤新彼一人だけだったのです。

この逆輸入のデザインは、日本に興味を持ったライトの弟子である遠藤新が広めたと言ってもいいのですが、「残念ながらライトを越えることはできなかった。」とよく言われることですが、ライトの弟子はライトを越えられず(越えようとせず)、コルビジェの弟子はコルビジェを越えようとしたというのは理解できると思います。

しかし、この周辺から見える逆輸入デザインは、町並み一体をやさしく包んでくれているようです。
ライトと遠藤新の違いを見比べてみるのもおもしろいかもしれませんね。
そして、ライトの作品、遠藤新の作品は70年近く建っているのですが、今でも帝国ホテルは明治村へ、自由学園は重文に指定され改修中、この講堂は綺麗に使用されて「愛されている」という印象を強く受けるのです。建てられては壊されるという今の建設業界の流れに対し、これらの作品はこれから学んでいく所がたくさんあると思います。

 

最後に
以前、建築マップでこの自由学園明日館講堂を婦人之友社と間違えて掲載しておりましたが、婦人之友社の方から詳しいご説明を頂きました。改めて御礼申し上げます

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文責・写真:H.Tanaka


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