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京都市 下京区
Last renewal 2001/08/01 登録6件

新撰組 壬生屯所跡

用途 住宅 
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京都市中京区梛ノ宮町

もと壬生郷士前川家の屋敷と、坊城通をへだてた八木家が、文久3年(1863)2月から慶応元年(1865)西本願寺の集会所に本拠を移すまで、新撰組の壬生屯所として便われた。前川家は平家建の長屋門のある家で、外観は当時の面影を残している。長屋門入口右手の格子造りの出窓は、新撰組がつくったもの。建物内部の柱には、当時の刃痕が昔のまま残っている。ここは非公開のため内部の見学はできません!

壬生寺 Mibu-dera
建設 昭和45年の再興
用途 寺院
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京都市下京区梛ノ宮町

正暦2年(991)に三井寺の快賢僧都が仏師定朝に彫らせ地蔵尊を安置。壬生の小三井寺と称したのが起りとされる。室町時代から庶民に流行した地蔵尊信仰により寺運は隆盛したが、昭和37年火災で、本堂を始め、本尊や寺宝類を焼失する。昭和45年に、奈良唐招提寺より地蔵昔薩(重要文化財指定)を迎えて再建され現在に至っている。境内にある狂言堂(大念仏堂)では毎年2月2日と3日の節分と、4月21日から29日まで生狂言行なわれることでも有名。地蔵尊信仰で有名なこの寺は常に参拝者で絶えない。

空也寺 Kuya-dera
建設 明治37年の再建
用途 寺院
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京都市下京区恵美須之町
 
下京区恵美須之町、寺町通の東側に位置する。天禄三年(972)空也上人の開基とされ。当初は綿小路西洞院(現中京区空也町)にあった。当事は天台宗に属していたが、現在は浄土宗。天正19年(1591)豊臣秀吉の命令により、現在地に移転(山州名跡志)。天明8年(1788)の大火で焼亡。再運されたが、更に嘉永三年(1850)四月に近辺の火災により延焼し、以後、仮堂のままであったが、明治37年(1904)に本堂を再建し現在に至る。

春長寺
 Syuncho-ji
建設 享和2年(1802)に再興
用途 寺院
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京都市下京区貞安前之町

この寺町通は京都で一番の電器屋街で、まして春長寺のある場所は四条通りに近く、百貨店に囲まれた位置にあるために、その存在はほとんどとわからない。この寺はそうした時代の流れからいい意味で取り残されたものと言えるでしょう。ここの境内はそれほど広いわけでもなく、入ることもできないですが、門から見ると正面に本堂があり、その屋根は微妙にむくりがつけられているのを見ることができます。この緩やかな曲線を描いた屋根のラインはなかなか奇麗だと思います。

浄教寺
 Zyoukyo-ji
用途 寺院
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京都市下京区貞安前之町

浄士宗浄教寺は貞安前之町の寺町通東側に位置する。平清盛の長男内大臣重盛ゆかりの寺で、もとは東山の小松谷に重盛が48間の精舎を建て、48体の阿弥陀仏を安置し、48個の灯籠をかがげ灯籠堂と称したのに始まる。以後、東洞院高辻下ルに移り、天正19年当町に移された。現在も本堂に阿弥陀三尊と重盛像を安置される。



貞安前之町
 Teiannomae-cyo
用途 地名
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京都市下京区貞安前之

町名は天正18年(1590)二条烏丸(現中京区)にあった大雲院が当町に移転し、その開基が僧貞安であったことによるもの。天正7年(1579)織田信長の命により行われた浄土宗と日蓮宗との安土宗論の勝者が貞安で、安土宗論で勝って以後、織田信長の帰依を受けることとなった。天正10年6月、本能寺の変で信良・信忠父了が殺され、二条鳥丸(現中京区)の地でその回向をしたのが大雲院の起こりであるという。その後、大正18年の豊臣秀吉が都市改造を行った際に、当町へ移転、町名はこのときにつけられたもの。

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