ARCHITECTURAL MAP

Heian Shrine
平安神宮

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平安神宮

設計:木子清敬+伊東忠太
所在地:京都府京都市左京区岡崎西天王町
用途:神社
竣工:1895年(明治28年)

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Camera:
Nikon F60 24mm

作成日:
2000年02月 27日

最終更新日:
ページは追記・修正があったときに随時更新しています。
2008年07月13日

作成者:
Mitsuo.K


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- 「風水から見た平安京」というテーマで、3箇所を紹介しています。
続けてご覧になると一層お楽しみいただけます。
  1. 平安京の大内裏を復元した、平安神宮(このページ)
  2. 気をせき止める、東寺
  3. 龍の水飲み場、神泉苑

「龍穴:りゅうけつ」の復元

うぐいすなくよ(794年)平安京。

あれから1200年後の1994年、京都は建都1200年の記念行事として京都コンサートホールJR京都駅ビル、地下鉄東西線を計画しました。
では、1894年(明治27年)の建都1100年記念行事には何を計画したのでしょうか?それが日本初の路面電車、時代祭りや平安神宮でした。

当時の京都は大政奉還により天皇が今の東京に移り住み、それに伴う公家衆をはじめ天皇家ゆかりの人々も京都を去り、人口は2/3に減少しました。千年以上も栄えてきた京都。がしかし日本の中心を自負していた京都人は、心の支えを見失ってしまったのです。

「日本の心は京都にあり」とアピールできるものを残しておこうとの京都人の願いを込めて建てられたのが、この平安神宮なのです。

大鳥居の高さは24.4mで、昭和4年(1929年)に建てられたもの。巨大な朱塗りの鳥居は当時、周囲の景観を損なうとの反対もあったらしいですが、今では京都の立派なシンボルです。ちょっと目立ったものを造ろうとすると何でも反対するのですね。京都国立近代美術館からよく見えます。


「大極殿:だいごくでん」を模したもの

神宮内の建物は平安京の大内裏朝堂院を2/3に縮小して模したもの。大極殿は政治を行った場所です。緑色の瓦は、国家の重要な施設でしか使うことを許されなかったといわれています。

平安神宮とは平安京の「大内裏:だいだいり」を一部復元した建物なのです。


空が青いから「竜宮城」のようだ・・

桓武天皇は、この都「平安京」を永遠にしようと願った2つのポイントがあります。風水で見ると、とてもよく分かります。

  1. ここに政治権力を結集しようとした。普通、風水の一番重要な「龍穴:りゅうけつ」には、天皇が住む場所、日本でいえば「紫宸殿:ししんでん」のようなものを建てるのですが、わざわざ「大極殿:だいごくでん」という政治の場所を計画した。
    つまり「政治権力がそこで非常に繁栄するように」を彼は願った。
  2. この都が永遠であるためには、自然と一体化していかなきゃいけない。「どこを見ても美しい町にしたい」そのために、こんなにきれいな町が出来たのですね。

北・・・玄武:げんぶ
東・・・青龍:せいりゅう
南・・・朱雀:すざく
西・・・白虎:びゃっこ
4つの神々に守られた平安京。「四神相応:ししんそうおう」と呼ばれ、このような風水に基づいた計画は日本でも数箇所ありますが、桓武天皇が考えた通り、日本ではもう平安京の後にも先にもこれ以上の町は出来なかったことでしょうね。


「風水から見た平安京」というテーマで、3箇所を紹介しています。
続けてご覧になると一層お楽しみいただけます。

  1. 平安京の大内裏を復元した、平安神宮(このページ)
  2. 気をせき止める、東寺
  3. 龍の水飲み場、神泉苑

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